キメラの割合はそれからというもの、最も気になる経過なのですが、
GVHDが出たわりには、効果はあまりでなくて、
検査するたびに、ドナーの細胞の割合が減っていきました。
それで、もう一度、今度は免疫抑制剤を切ってリンパ球を添加しました。
前回長女から採取したリンパ球の残り半分が、冷凍保存されてあったので、
それを再利用しつつ、働きを抑える薬を無くして、
リンパ球に存分に働いてもらおうということです。
その時点で75%あった長女の骨髄の比率はたしか60%くらいだったでしょうか。
しかも採血して検査するたびに、徐々に減少していくのでした。
私は落ち込みました。
折角移植した骨髄がこのような形でなくなる可能性もあるのです。
医師の話だと、このまま拒絶されることも十分ありえるし、
それよりも3歳までドナーの骨髄が残っていればよいのですが、とのことでした。
余談ですが、この病気は摩訶不思議な部分が非常にたくさんあって、
たとえドナーの骨髄が拒絶されても、何故か破骨細胞の働きだけは残って、
これからは古い骨の上に新しい骨が形成されていき、
命の危機はしばらくは、ほとんどなくなるということなのです。
これはいったいどういうことなのか、私には到底理解不能なのですが、
ともかく、藍は生きていけることは間違いないのです。
本当に、不思議な人間のからだです。
しかし、いつまでたってもまともにミルクは飲めないし、
そればかりか、どうしても吐いてしまうのです。
80ccからなかなか増やすことができず、皆でやきもきしました。
吐いてもいいから、注入してみては、という意見もでたりしましたが、
吐くのは苦しいです。可哀想なので、藍の体がミルクを受け付けるようになるまで
長期戦でゆっくりいこう、とも考えたいのですが、
そろそろパパのほうが限界がでした。
丁度仕事も忙しくなり始め、残業をしないと追いつかなくなってきたのです。
それでもなんとかやりくりして、定時退社を守ってきてたのですが、
やはり仕事をしながらの育児の両立はとても難しいと思います。
体力的にもそうですし、責任感の強い人ですから、手抜きが出来ず
かなりぎりぎりのトコロまできていることが、分かっていました。
できるなら、藍はもう、生きていけるから、
早く退院して、パパさんを一休みさせてあげたいと思いました。
でもミルク80ccを吐いてしまうようでは、輸液が必要でIVHも抜けないし、
点滴を持ったまま、外泊はともかく、退院はゆるしてもらえませんでした。
疲れ果てて、週末に面会にきてくれるパパさんがとても痛々しくて、
変わってあげようにも変わってあげられない、どうにもならないもどかしさがありました。
そんな思いが、伝わったのでしょうか。
輸液を切れば、飲めるようになるから、IVHを抜くべきとという意見がだされて、
まだ頼りない体の調子にハッパをかけるように、IVHを抜くことが決定しました。
移植して3ヶ月半、遂にIVHは抜かれて、点滴から開放されました。
どうかな、と、心配していたのですが、不思議なことに、
あれだけ吐いていたのに、なんとなくミルクが胃に収まっていくようになり、
ムカムカしているのは表情でも分かるのですが持ちこたえるようになってきたのです。
そして、すぐの間に120ccのミルクを一度に注入出来るようになりました。
そして、レントゲン写真を撮って、移植効果をみたところ、
前回よりもさらに、透き通った部分が増えてきていて、
骨髄の場所が出来つつあることが、確認されたのです。
教授も医師の皆さんも、これで命の危険はありませんと断言してくださいました。
嬉しかった。ほんとうに・・・
これから、自宅で介護しながら家族と共に過ごすのが夢、そして希望です。
困った時や、相談したい時、すぐに医師や看護師さんのいない自宅で
やっていく覚悟を決めなくてはいけなかったので、
私がもっと精神的に強くなり、そして、藍のことをもっと知らなければと考えて、
藍のケアを必死で勉強しました。
こんな私がとりあえずできるようになったこと・・・・
とりあえず藍のマーゲンチューブを交換できるようになりました。
ミルクを飲ませないといけないので、抜けて何もできないようでは困ります。
そして吸引方法を覚えました。
清潔な蒸留水を消毒した容器に用意して、チューブをアルコールで消毒してから
溜まって息苦しくなりやすい鼻水を常に吸引する必要があります。
と、いうのは、藍はすでに唾液などを飲み込む力も弱くなっていて
それが鼻腔喉頭に溜まって息が苦しくなるからです。
さらに気管の骨の変形からくるのかどうか、よく分からないのですが、
気道が狭くなってきており、息をするのが少しずつ大変になってきていたのでした。
それでも、耳鼻喉頭科の受診では、そこまで重症ではないので
しばらく様子をみることにしたのですが、
藍は息するときすでに、ゴーゴーといびきをかくような音を立てながらでないと、
呼吸できないのでした。これは後に気管切開へとつながっていきます。
あとは、藍は自分の調子の悪さを表現できないので、
私がすぐ気がついてやらなければならないので、目がはなせません。
このほかにもいろいろありますが、それでも自宅看護を目指して、
パパさんや家族のため、藍のため、そして自分のために、
強くなれたと思います。
そしていよいよ、退院の日が決定しました。
なんといっても、5ヶ月間お世話になったのです。
素敵な出会いがあり、知り合いもできました。
みんな大変な病気をかかえていらっしゃる方ばかりのこの病棟では
背負っているものが重過ぎるばかりなのに、皆様とても明るいのです。
データがわるくて落ち込んでいても、大丈夫、一時的なものよ、という
経験者でないと言えない、説得力のある励ましのお言葉や、
同室になったお母さんと深夜遅くまで語り合ったことや、
付き添いおばさんにいきなり、貴方が好きよって告白されたことや(爆)
とても優しく、親身になって御世話してくださった看護師のみなさん
藍の経過をじっくりと見てくださった先生方、
そして、仕事以上に、個人的になにかと気をつかってくださった先生・・・・
色々な想い出がありますが・・・・
特に主治医になってくださった先生との出会いは、私の宝物です。
この場をお借りしまして・・・・
みなさん、ほんとうに、どうもありがとうございました。
みなさんの励ましや心づかいのおかげで、
藍も、わたしも、家族も頑張れることができました。
みなさんのおかげで生きていけるようになった藍のこの小さな命を
これから、家で、たいせつに、たいせつに、育んでいきたいと思いました。
退院の日、先生は私たちを最後まで見送ってくださって、
これから、会えなくなるのがとても寂しいといってくださいました。
いつもいつも、藍と私の気持を一番に考えてくださってありがとう。
私も同じです。先生が大好きでしたから。
また、機会があれば、お会いしたいです。
(まるでラブレターだなあ・・と思いつつ)
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