◆在宅看護のはじまり


退院してからの生活


2002年(平成14年)6月の初めに藍は退院しました。
退院するにあたって、居間の横にある和室を藍の部屋としました。
藍のためにエアコンを買い、ベビーベッドを備え付けて、藍のもので揃えました。
そして、この部屋で子供たちが遊ぶことを禁じました。
異常なくらい、清潔に気を配り、感染予防を徹底させたくて、
手洗いうがいを必ずすることを、より厳しく徹底させました。
骨髄移植をすると免疫力が下がってしまうので、いろいろな病気にもかかりやすく
熱が出たら入院させなければ一歳過ぎるまでは命にかかわることもあるので、
気をつけなければなりませんでした。
実際は感染なんてどんなに気をつけていようと感染するときは感染するし、
しないときはしないものなのですが、神経質になりました。
上の姉たちが持って帰ってくる軽い病気でも、藍にとっては大変な病気なので、
とにかくぴりぴりと神経を尖らせながら、あまり楽しくない生活が始まりました。

藍のように、自分でミルクを飲むことのできない赤ちゃんが
一番気をつけなければいけないのは、水分補給不足による脱水で
、 三時間置きにミルクを注入することが、もっとも大切な仕事なのです。
それがまだ移植の後遺症の残る藍は、ミルクを吐きやすいので、
注入している合間はひとときでも目を離すことが怖くてできないのでした。
三時間の内、一時間はミルク注入に費やして、
その合間をぬって、泣いていない寝ている間に、細かい家事を片付ける、
買い物は一週間に一度、休日にまとめ買いという毎日が始まりました。
そうです!、新生児の赤ちゃんをお世話するのと同じサイクルの始まりです。
ただ、新生児の赤ちゃんと違うところは、藍は成長がひどく遅くて、
六ヶ月になってもいまだに笑うことはおろか、目もあわせることができず、
まとめてぐっすり寝ることもほとんどないままに、延々と毎日が変化なく続くことです。
あんまり楽しくない生活ってわけです、それでも、
私は嬉しかったのです。だって家族と共に暮らしているのですから。
パパは自分が言うのもなんですが、私がいることで安心して仕事に打ち込むことができるし、
長女は、自分でカギを開けて、誰もいない家に戻らなくてもいいし、
次女は常時居残りから開放され、保育園から、彼女の希望だった幼稚園に
登園することができるようになったのです。
そして泣いているときにいつだって、そばにいてあげられるってことは、
一番してあげたい母親の仕事だと思うので、それができれのが嬉しい。
毎日の生活はへとへとになるくらい眠れなくて大変でしたが、
満ち足りていて、新鮮で、恐ろしくて、嬉しいものでした。
ご飯を作るもかたつけするのも何か新しいことをするみたいだったし、
半年家を放置していて、モノであふれている部屋を少しずつきれいにしていくのも、
浄化していくような満足感がありました。

最初の一週間が過ぎたら、状態を検査するために外来通院しなければなりませんでした。
要するに、家でまともに生活できているかどうか、病院の血液検査などでチェックされるわけです。
これが悪かったら、もちろん病院へUターンですので、まったく心臓に悪いです。
二時間半かけて、藍を病院に連れて行き、主治医に診ていただき、
結果を待ちました。もちろん異常なし!
ふふっ♪私たちのがんばりがここで証明されなければっていうノリで、
二週間ほどすごせば、やっと生活にも慣れて要領をつかめてきたので、
ようやくリラックスして楽しく過ごせるようになってきたのは三週間目。
そして笑顔つきの余裕で四週目を迎え、主治医先生に、
次からは二週間後でいいですよ、と、言って頂き、
やっと自分の本来のペースを取り戻しました。つまり自分の時間を持つ気力も沸いてきたのです。
しかし、7月に入って最初の週に、初めて藍は熱を出してしまったのでした。

熱があるな、と気がついて氷枕を当ててやりながら、病院にいかなくてはと準備をはじめていたら、
みるみる呼吸音が、変な雑音を鳴らし始めて、ひゅうひゅうと苦しそうに息をし始めたのです。
こういう緊急のときのために、もと主治医先生が書いてくださった、
藍の病歴などを詳しく記載したサマリーと紹介状を持って、
(藍のような難病の子供をいきなり連れて行くと、そこの病院が対応に困るからです。)
おお慌てで、近くの一番大きな小児科のある療養所へ連れて行きました。
SpO2(血中酸素濃度)が82から86の肺炎気味の喘息様気管支炎でした。
藍は普通の赤ちゃんよりも気管が狭いので、風邪ひいただけでも息が苦しくなるのです。
それでも苦しげに息をしながらも、がんばっていたので、
挿管は免れ、湿度80パーセントにまで加湿された酸素テントの中で、
抗生剤を点滴されながら、初感染を一週間の入院で乗り切りました。
感染を治癒させて退院した藍は少したくましくなりましたが、
少し気になることに、息をするのが苦しげに聞こえ始めたのでした。
大理石病の進行によって、気管はだんだん狭まって、息苦しいのです。

寝ていても、お年寄りがいびきをかくように、藍もいびきをかきながら眠ります。
そして仰向けだと息苦しく(おそらく口頭の舌根が落ち込むので息苦しい)
横向きでなんとか寝ていられるようになってきました。
そして息をするのに精一杯肺を使うので、おそろしく汗をかくようになり、
一眠りするたびにびっしょりと濡れた敷いているタオルを取り替え、
服を着替えさせるようになりました。
それでも、なんとか一ヶ月は無事何もなく過ごせました。
エアコンフル回転の、なんとも落ち着かない長い夏。八月。




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